へちま記

(主に自分用の)読書記録です

ウィリアム・バイナム『医学の歴史(サイエンス・パレット)』

 

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

 

修論提出直後からちまちまと読み進めていった。新書サイズにして200ページほどで、ヒポクラテスから20世紀末までの西洋の医学が辿った歴史を手際よく紹介してくれる。

類型学の方法を採用していて、各時代の医学が大まかな特徴によって分類されている。類型は臨床・書物・病院・共同体・実験室の五つで、章分けもそれに従っている(最後に現代の医学についての概説もあるので6章構成)。

ヒポクラテスは臨床の医学の表看板だけど、その後の章でもことあるごとに肯定的に言及されているところが興味深い。これは近世までの医学(類型で言うと病院の医学)が古代以降あまり進歩しなかったと見なすよりは、医学の歴史を(他の科学は知らないけど)発展史的に捉えるべきでないという筆者の態度の現れとして理解したほうがいい。

あとは、診断や治療法が変化していくのに従って、医者と患者の関係性もまた変化していく様子が上手く描かれていたと思う。

このような病気の位置づけ方は、啓蒙医学の際立った側面である。ヒポクラテス派の伝統を継続した患者指向型の医学であって、患者が語る感情や症状に依存して診断し、このシナリオでは、医者と患者の出会いを患者がリードしていると歴史家たちは表現している。(中略)旧体制では、患者と患者がかかった医者は同じ言葉を話し、病気とその原因について類似の概念を持っていた。(pp.52-53)

医療の合理化・客観化を推進したのは、19世紀のパリで組織された大病院らしい。革命期以来、患者の語りに依拠しない視診・触診・打診・聴診などの方法論が確立されていったそうだ。それだけでなく、診断結果の解釈や修正のために病理解剖(これも多くの死体が確保できる大病院ならでは)が行なわれると、いよいよ病理のモノ化が進んでいく。そしてヒポクラテスやガレノスの全体論的な体液の医学から、部分論的な臓器の医学への転換が明確になってくる。

病理に関する還元主義の行き過ぎは、反動として現代での一般医療・プライマリケアの再評価に繋がっているが、それを「患者が力を持ち始めた(p.162)」とまで言えるのかは分からない。ただイヴァン・イリッチが「医原病」と呼んで攻撃した時よりは、医者集団の権力は解体されているんだろう。ちなみに僕は医者に症状を説明するのとかすごく苦手なので、好きに診てくださいとか思ってしまう。

あとは第4章から5章にかけての感染症の克服の過程なんて、一つの物語として面白く読めた。産業革命期のイギリスでチャドウィックたちが単に「清潔/不潔」と呼んでいたものが、パストゥールやコッホの功績によって徐々に科学的な言語に書き換えられていくんだけど、民衆レベルでの何が清潔で何が不潔かっていう判断がそれによって洗練されたとは言い切れないところが面白い。「清潔/不潔」の概念史は勉強したいテーマの一つ。

 

清潔の歴史―美・健康・衛生

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「清潔」の近代―「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ (講談社選書メチエ)

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